新年度がはじまりましたね。
今年は例年以上に気持ちがそわそわしている昭和蠍座生まれのAYです。
気持ちが落ち着かない理由は……。
わたくしごとですが、この春、一人娘が大学を卒業し、社会人になりました。
この記事がアップされる日は、新社会人3日目のはずです。
私は産後休暇・育児休暇を取得したのち、娘が8か月の時に仕事に復帰したのですが、思い返してみると、その時々にさまざまな苦労がありました。
育児休暇を短縮し、復帰を早めたのは、4月に保育園へ入園させるためです。
20数年前も今と変わらず保育園の待機児童は社会問題で、夏生まれの娘が1歳になるのは年度の途中、入園枠が空いている保障はどこにもありません。
そのため、はじめての子育てで不安がいっぱいでしたが、1歳を待たずに仕事復帰を決意しました。
その甲斐あってか、無事に4月に入園できたものの……保育園第一子あるあるなのですが、入園直後は次々と感染症にかかり、最初の3か月はほとんどまともに勤務することができませんでした。
第二子以降であれば、兄弟姉妹から感染症をもらったりして入園前にある程度の免疫がつくそうなのですが、第一子はおっかなびっくり育てるあまり、いわば純粋培養、その状態から保育園という多くのお子さんと生活を共にする環境に置かれるのですから、当然といえば当然です。
また、そんな最初の洗礼を乗り越えたあとも、食物アレルギーとアトピー性皮膚炎で食事の制限や皮膚科通いをしていたこと、加えて2~3歳の頃は風邪と中耳炎を繰り返したため小児科と耳鼻科をハシゴする日々が続いたこと、人見知りが強い性格で毎年担任の先生に慣れる頃には1年間が終わっていたこと……etc.
こんなふうに、娘が乳幼児の頃は、仕事と育児の両立に時間的にも体力的にも大変、ということもさることながら、心理的にとても辛い時期でもありました。
保育園へのお迎えがあるので残業ができない、さらには子どもの病気でたびたび突発的に休む。
仕事で成果が出せない。
同僚に皺寄せがいく。
そのうえ、子どもにも負担をかけているのではないか。
そうまでして働く意味があるのか――。
この悪循環で、ほんとうに辛かったです。
それでも、働き続けることができたのは、当時の上司や同僚の援助、そしてパートナーである夫の存在があったからでした。
夫は育児や家事をなんでも一緒にやってくれるだけでなく、一緒に考えてくれる人でもあったので、お互い助けあって支えあってここまでやってこれたのだと思います。
その後、小学校に入学する頃には身の回りのことが自立しますので、時間的にも体力的にもだいぶ楽になっていったものの、今度は別の悩みが。
保育園は「保護者が仕事をしている」という家庭が大多数を占めます。
それゆえ、保育園生活のなかの保護者活動は、皆、限られた時間のなかで、合理的、かつ効率的に進めようとします。
しかも、さまざまな職業の実務者がおり、おのずと得意なことを得意な人が引き受ける体制となるので、なおさら効率よく進みます。
ところが、小学校では、保護者会やPTA役員活動(子1人につき必ず1回引き受けるというルールでした)、学校行事への協力、これらはすべて平日昼間に行われますし、時間の使い方や作業の進め方が保育園時代とはまったく異なっていて、最初はそのことにとても戸惑い、苦労しました。
そんなこんなで保育園6年間+小学校6年間を終えたら、もうこっちのもの、中学・高校はあっという間でした。(ほんとうにあっという間でした。)
娘自身は、思春期特有の悩みがあれこれあったかもしれませんが、ここまできたらもう親は見守るばかり。
そして直近の大学生活は、2年次にくだんのパンデミックに突入したので、いろいろなことが制限されて少し可哀相でしたが、それなりに謳歌したようです。
娘の大学卒業=私たち夫婦の子育ての卒業。
苦労した日々も今となってはどれもよい思い出、ちょっぴり淋しいのが本音です。
(といっても、しばらくは変わらず一つ屋根の下で一緒に暮らすのですが。)
AY